安楽死と聞いてあまり良いイメージはないですよね?
安楽死が認められている国は、オランダ スイス ベルギー ルクセンブルク アメリカの4州となっています。
ヨーロッパに住んでいる人が安楽死を求めた場合、認められている国へ行けば可能であり、アメリカに住む人も同様に安楽死が認められている州へ行けば可能になります。
私たちが想像する以上に世界では安楽死は身近なものかもしれません。
認知症と安楽死
なぜ安楽死が行われるのか?
海外では安楽死が認められている国もあり、更には大麻や売春が合法の国もあり、精神的にも自立した国で日本とは社会的背景が大きく違うのかもしれません。
「生きる自由もあれば死ぬ自由もある。」
根本的に日本とは歴史が違うのでしょう人生観も違うと思います。
時々、福祉先進国の介護を夢の様に語る人がいますが、どこかに理想の国が有って、その国では日本を超越した介護が行われていると思っているのかもしれません。
現実的な話では、福祉先進国では自力での食事摂取が困難となった高齢者へは、胃瘻や食事介助といった習慣は少ないようです。
これをみなさんは理解できても自分の家族へ行えるでしょうか?
確かに胃瘻へ栄養を流し込み、食事をしている事すらわからない状態が幸福なのでしょうか?
認知症になって、本人も幸せか不幸かわからないまま、ただ生きてもらうだけの行為はそれこそ虐待にあたるかもしれない。
そこまで考えられる国の人だからこそ安楽死を受け入れられるのかもしれません。
尊厳死、安楽死
尊厳死とはその人を尊重した死であり、延命治療をしない。胃瘻や食事介助へ消極的というのも広い意味でこれにあたります。
安楽死とは苦しみを取り除く死であり、薬物投与などによる死です。命を絶つという事です。
日本では安楽死は非合法
日本では安楽死はもちろん非合法ですが、介護の現場ではとにかく延命へ向けて最善の努力をする事が求められ、それを怠る疑いがあれば罪に問われる事もあります。
とはいえ、近年ではターミナルケアへの理解も深まり、病院よりも施設、施設よりも自宅で最期を迎えようという考えになり、必ずしも延命治療が原則というわけでは無くなってきました。
なぜ日本では安楽死が認められないのでしょう?
認知症の方は自ら安楽死を望める状況にないのかもしれませんが、精神疾患の方にも安楽死を望む方がいます。
精神疾患の方は自らの意思で安楽死を望むだけあり、それぞれの苦しみや安楽死を望む理由は明確ですが、それでも日本では認められません。
仮に認知症の安楽死が合法になったとして、誰が安楽死を申請するのでしょうか?
安楽死の申請の想定
1 本人の場合
認知症が進んでからでは判断力がありませんので、若いうちの判断で決まるかもしれませんが、人間は何年も何十年も前の気持ちを変わらず持ち続けているものでしょうか?
2 後見人の場合
責任は重大です。後見人にも種類はいろいろありますが、最近では身寄りのない認知症の方のために市民後見人というのも積極的に導入されてきました。
まさに赤の他人が認知症の命を絶つ決断をしなくてはならなくなるのです。
そもそも日本は「高齢者が長生きを望み、若者が自殺を望む国。」と時代を風刺する声もあるぐらいです。
法整備以前に様々な問題をクリアーしないと安楽死は難しそうです。
安楽死の問題点
安楽死を語るうえで問題になるのが、「本人が希望している場合でも犯罪行為にあたるのか」です。
オランダやスイスなど一部の国では合法な行為ですが、日本では罪に問われます。では一体何が問題なのでしょうか?
世界の倫理と個人の意見
恐らくこの記事自体も筆者の倫理観が入ってしまうため、安楽死という非常にデリケートなテーマに関して完璧な正しい答えではないと思います。
しかしながら、世間一般的に「自殺はしてはいけない」というのは正しい価値観ではないでしょうか。
ではそこに、「自殺した人は不治の病で、常にひどい痛みを全身に感じており、栄養管理されているがために生命は保持されている状態」という情報が加わるとどうでしょうか。
この患者に対して「いつか治療が確立するかもしれないから、希望を捨てずに生き続けて!」と励ますことは正義なのでしょうか。患者本人の気持ち、それをサポートする家族、治療を継続するうえでの経済的な理由、それらすべてに無責任な立場であればあるほど、善意の押し付けになってしまいます。
障害受容の問題
では、「本人からすれば耐えがたい苦痛」を感じていれば、安楽死は是なのでしょうか。有名なところで言えば、障害の受容過程で「ショック期」「苦悩と混乱の時期」「否認期」「解決への努力期」「受容期」といったものがあります。とても大きな障害を負った場合、必ずしも受容できるわけではありませんが、だれしも「ショック期」や「苦悩と混乱の時期」を経るわけです。この時期の真っただ中にある患者が将来を悲観し、安楽死を希望した場合はどうでしょうか。
つまり、安楽死の問題点を語るうえで倫理観を物差しとしてしまった場合、あまりにも流動的で正しい答えというものがなくなってしまいます。そのためで、法律によって制限する、あるいは容認するといった対処が必要不可欠になるのではないでしょうか。
安楽死の現在の議論の論点
東海大学安楽死事件
末期がん患者へ塩化カリウムを投与し、安楽死させた日本の事件です。
医師は刑事事件として逮捕され、安楽死へ対する裁判所の見解が出た事件であり、安楽死の議論をする際にはこの事件がよく持ち出されます。
4つの安楽死を容認する許容範囲
1 患者が耐えがたい激しい肉体苦痛に苦しんでいること
2 患者は死がさけられず、その死期がせまっていること
3 患者の肉体的苦痛を除去、緩和するために方法を尽くしたほかに代替手段がないこと
4 生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること
この4つが安楽死を容認する許容範囲として提示されましたが、結局、医師は逮捕されました。
注目したいのは、本人とその家族が望んだ点です。
海外なら問題なく合法だったかもしれません。
安楽死の賛成意見として
本人苦しみからの解放 本人の意思の尊重 家族の負担軽減 延命治療にかかる財政的な負担を他の事へ使った方が良い
代表的なのをピックアップしました。
では安楽死の反対意見はどうでしょう?
法律で人は殺せない 家族への負担 自然死が良い 死を強要するケースになりかねない 健常者が安楽死を求めてしまう
他にも様々な意見があり、反対意見は多種多様です。
ふたつの意見を見てもどちらも頷けるものがあり、大切なのは自分の価値観で相手の命を奪う事がいいのだろうか?だと思います。
もちろんいいはずないと思いますが、法律で決まるとなると白黒はっきりしてしまう事になるのでとても難しい問題ですね。
認知症と安楽死に纏わる未来
認知症の未来はどうなっていくでしょう?
1 新薬の開発が進み認知症が無くなる
理想的ですね。認知症が無くなるかはわかりませんが、今よりは確実に減るでしょう。期待したいです。
2 ハイテク化で認知症ケア
スコープをかけて「ご飯はまだ?」と言えば「さっき食べました。」と表示され、常にAIが認知症の精神を安定させる。
ロボットが常に認知症の表情を認識し、定期的に名前を呼んで話しかけ、時にはロボットが歌をうたってレクレーションを行う
既に、運用されているロボットもあるようですが、まだまだ夢の話です。
では、そんな未来へ安楽死をからめるとどうなるでしょう?
いくら飛躍的な医療や科学技術の発展が有っても、安楽死という部分は人の価値観で決まります。
どんなに苦しまない薬が出来ても、どんなに幸せのまま終われる装置が出来ても、安楽死への負のイメージを変えるのは並大抵の事ではありません。
施設でターミナルケアを行った時の話です。
懸命な食事介助の甲斐なく衰弱し、ベッドから起きる体力も無くなり、苦しそうな顔で職員へ笑いかけてくれる認知症の高齢者がいました。
度重なる会議と家族の方との十分な話し合いの末、食事止めが始まり、徐々に衰弱していきました。
ところが数日後に、別の家族が怒鳴り込んできてターミナルケアは中止となり、その高齢者は病院へ搬送され点滴による治療が始まりました。
これが人の気持ちであり、未来になっても簡単には変わらない事のような気がします。
まとめ
最後にペットの話で申し訳ないのですが、犬の安楽死について話したいと思います。
助かる見込みもなく総合病院での集中治療も終わり、もといた獣医へ搬送された犬がいました、
獣医は家族と安楽死の相談を済ませており、最後の確認をするために家族へ連絡をしました。
電話に出た家族はパニックになり泣き出しました。
安楽死は中断しました。
犬は苦しそうです。
一晩明けて獣医から犬が亡くなったと知らせが来ました。
おそらく獣医が行ってくれたのでしょう。
家族は獣医へ感謝しました。
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